小春日和

巻き起こす5人を応援しています。/親愛なるたった1人のためのラジオも応援しています。

いま、おもうこと

2019年1月27日日曜日、夕方。

自宅。テレビをつけていた。相撲の試合のチャンネルになんとなく合わせていて、しかし熱心に眺めるわけではなく、視線は携帯の画面に向けていた。スマホでゲームをしていたのだ。ふいにニュース速報の音が流れる。先ほども政治かスポーツか何かの速報が流れていなかったかと特に気に留めずに、視線はスマホに落としたままであったが、母親の声で顔を上げることになる。

「えっ!ねぇ、○○、嵐が…」

嵐?ニュース速報で嵐?少しの疑問が浮かび即座に顔を上げ画面上部を注視すれば、確かにそこに「嵐」の文字があった。「活動休止」の文字とともに。

頭が真っ白になる。書いてある文字が理解できない。活動…休止…?「嵐」「活動休止」の到底並びそうにない二つの単語を含んだ文章は、それを想像したこともないような私には理解するのに時間がかかった。すぐさまリモコンを手に取りチャンネルを順番に巡っていく。ない、ない、どこもやっていない。焦るあまり何度もチャンネルを変えるが当然結果は変わらない。あぁ、そうだ、スマホ。慌てて手に持っていたスマホのロックを開き、最初にメールを確認する。公式からのメールはきていない。ではtwitter。嵐垢を開く。しかしなかなか読み込まないタイムライン。諦め、トレンドのページに変えれば、そこには「嵐」やら「活動休止」やら「大野さん」やら全て嵐関連のワードと思われる単語が並んでいた。本当なのか…?ニュース速報で見てもtwitterで見てもずっと信じられない気持ちがある。信じたくない。こうなれば公式だ。本人の言葉を聞くまでは信じない、信じられない。周りがどんなに言おうと、本人たちしかその時は信じられなかった。ツイートでファンクラブサイトに動画と文章が上がっていることを知り、すぐサイトに繋げようとするが繋がらない。はは、まだ、本当ではないのではないか。動画を見たら、文章を読んだら、きっと違うに決まっている。この時はそうやって気持ちを保った。じゃないと息をするのも困難になりそうだった。しかし一向に繋がらないことにしびれを切らし、ネットニュースならまだ、情報を見られそうだと開く。そして知った。嵐が活動休止をすることを。いや、事実なんだと認識した。twitterではみんな好き勝手言ってるから信じられないと見て見ぬ振りをしたけれど、もうダメだ。ニュースでこんな嘘をつくわけがない。全部本当なんだ。

その時は、絶望、という言葉が一番しっくりくるかもしれない。焦って情報を探っているときはまだ嘘なのではないかと、ほんのわずかの希望、信じたくない気持ちがあったのに。事実を知り、ただただ呆然とするばかりだった。事実と認めざるを得なかった。真っ暗になった。

 

自分の世界の全ては嵐だ。最近、強くそう思っていた。何年も前からずっと好きで、その気持ちはいつしか自分の全てだと言えるくらいには大きくなっていた。それはもう自然なことだった。嵐さんの全てを追えているわけではなかったが、嵐さんがいることが自分にとって当たり前になっていて、テレビを見て笑って、曲を聴いて元気をもらって、新しい情報に嬉しくなって。そういうことがもうごく自然に日常だった。それをずっと続けてきた。そんな”当たり前”を当たり前に思っていた。のに。

予兆もなく崩れたそれを見て、初めて思い知った。あれだけ今が大切、当たり前なことなんてないとわかっているつもりだったのに。いざそうなれば本当はわかっていなかったんだ。覚悟がなかったんだ。でなければ、それを信じようとしない気持ちなんて持ち合わせないのだから。

 

そこからは耐えられず、本人たちの言葉を聞けないまま嵐ファンの友人に突撃した。つらかった。一人でいれば泣いてしまい、何もできなかった。やっとこさ友人の家で見た本人たちの動画と言葉は、どうしようもなく本人たちの言葉で、また泣かざるを得なかったけれど、少しは落ち着けた。あぁ、大野さんが真剣な表情で話している。まさか、嵐さんの口からそんな言葉を発せられるなんて、思ってもいなかったよ。「活動休止」とか「辞める」だとか。どうしようもなかった。発表された事実を何度も繰り返す。しかしそれでもまだ信じられない気持ちがあったのだ。というより実感がないのか。だって昨日まで夜9時からのバラエティ番組であんなに笑っていたのに。今朝まで5×20の日程はいつにしようかとか呑気に考えていたのに。そんな…。

親友のおかげで落ち着いた。こういう時はただただ同じファンの人たちと吐き出すしかない。ファンでない人たちの言葉は残酷だ。何も悪気があるわけではないのに。落ち着いたと言っても活動休止という事実を受け入れられるわけではなかった。残された期間をどう生きるか、そしてその先は…不安は尽きない。しかしどうすることもできない。せめて記者会見でどうにか救われないかと自宅で20時を待つことにする。その間も涙は勝手に出てくる。じりじりと何かに迫られている感覚が続く。世界にひとりぼっちではないことを確認するように、twitterで同じ渦中にいる人のツイートを漁る。時間が過ぎるのが早い。あっという間にAbemaでもMr.サンデーでも記者会見の様子が報道される時間が来る。息を飲んで、静かな空間でそれを見届ける。

 

少しづつ、解放されていくようだった。記者会見が終わった後には、少し笑えた。一番に思ったのは、嵐さんはやはりすごいなぁということだった。すごい、すごいよ。活動休止の記者会見で、まさか笑顔が見られるなんて。絶望だと思っていたのに希望をくれるなんて。私たちファンに真っ先に伝えてくれるなんて。不安をぬぐい、嫌な思いもさせずに笑顔を見せてくれるなんて。嵐が嵐でいてくれるなんて。……すごい。

嵐ファンでよかったって、何度言ってきたかな。でも何度でも言わせてください。嵐さんを好きでよかったと。見終わった後は前向きな気持ちになれた。もちろん悲しみはある。でも後2年。嵐さんは与えてくれた。受け入れるのには時間がかかるから。嵐さん自身も何度も話し合って時間をかけて決めてくださったように。私たちも向き合わなければならない。嵐は5人で嵐で、永遠の存在かもしれない。でも嵐の活動が無限なわけではない。今回のタイミングが決まってよかった。何より大野さんが大野さんの自由にしたいと言ってくださったのはよかった。今までの笑顔が全て嘘だとは思わないけれど、もし言ってくださらなかったら、本人が後悔する人生だったかもしれない。たとえ人生に間違いがなくても、気持ちを押し殺しては後悔する。櫻井さんが言っていたように、何人かの思いで誰か一人の人生を縛ってはいけない。だってその人生はその人のものなのだから。間違いなく。だからたとえ帰ってこなくっても、それはそれでいいのです。私は嵐というグループを、5人の人間を好きになったのだから。アイドルである彼らも、アイドル以前にみんなが一人の人間であるあの5人を、応援したいのだから。

 

これを書いている今でも受け入れられていません。そりゃあ発表から1日も経っていないから当然なのですけれど。ふいに涙が出ます。これから毎晩、日中でも思い出すたびに泣いてしまうのではないか。受け入れられずに2年を過ごしてしまうのではないか。不安で仕方ありません。でも後悔したくはない。嵐さんが見られるのはもう後2年しかない。嵐さんがせっかく与えてくれた時間を無駄にするわけにはいきません。自分の中の全ての感情を整理はできなくとも、1年と11ヶ月後に迎えるその日をなんのわだかまりもなく過ごせるように。今はただ嵐さんについていこうと思います。

 

嵐さんを好きになったこと、ファンを続けてきたこと、全く後悔していません。ただただ感謝しかないです。嵐でいてくれてありがとう。いつまでも大好きです。